先月出ていたことを昨日知り、いきおいあまって八重洲BCに買いに行く。
通常の東洋文庫新刊の3倍の冊数が平積みされていた。。そら、そうだわな!平凡社にはぜひ儲けてほしい。
それにつけてもこの東洋文庫の装丁の美しさよ。
緑の布装の本体には表紙に型押し、背表紙は金文字で。書体はもちろんあの現代的でない明朝。実用本位の無地の見返し。コート紙ですらない上品な函に、赤に黒で印刷された帯。帯すら書体は東洋文庫明朝に統一され、何十年前の東洋文庫と並べても紙の褪色以外全く違和感がない。しかも頑丈な函に守られ、本体は美しいクリーム色の紙を保つ。茶色にくすんだ箱から出したとき、本文の鮮やかな美しさが一層際立つ。タイムレスな内容と同様にタイムレスな装丁、その一体感。これこそ所有するべき「本」である。
と持ち上げてみた。
東洋文庫の装丁が好きなのは本当。きれいだ。
でも私自身は全然愛書家でないので、別にその辺はほんとうはどうでもいいのよ。
時代を恐れぬ東洋文庫の明朝体に敬意を表してみた :p
というか、この本の著者であるT.E.ロレンスは
そりゃもう凝り性で、印刷にも凝りまくり、装丁どころか、
本文の組みに激しく固執し、
すべてのページを新しいパラグラフから始めようとするなど、
病的な緻密さで自分の出版に取り組んでいたという。
DTPをやった人ならわかるだろうが、
レイアウトとか口絵とか書体とか飾り文字とか装丁でなく
本文の組みに凝りだすのは、末期である。
そういう人の本。
「完全版」は、以前やはり東洋文庫から出ていた全3巻の「知恵の七柱」と比べると、底本になったテキストの時点で30%くらい長いようだ。
底本が違うんだって。今回のはオクスフォード・テキストと通称されている、ロレンスが1922年に自分で8部だけ出版して友人に配ったバージョン、の校正原稿やなにやらを公認バイオグラファのジェレミー・ウィルソンが完璧に近い形に編集して出したバージョンの訳。
以前のは、そのテキストをロレンス自身が公に出すのにふさわしいよう省いたりなんだりした後それなりの部数出版し、さらに彼の死後に広く出版されたものの訳。まあ、世界的に広く知られている「知恵の七柱」は結局こちらなのですが。
そういうわけで全5巻となる予定の「完全版」。読み途中ですが
以前の普及版と今回の完全版、入ってる冒頭の献詩が一部違う。
献詩(To S.A.)についてくわしくはリンク先で。日本人でよかった。
特に有名なのは第一節だと思うのですが(普及版には「我御身を愛す、それゆえに、我この潮なす群れを我が手に統べ、星くずもて大空に我が遺書をしたためたり」というような訳文がついてました。手元にないので細かいとこちがうかも。)確かにロマンティックだけどあまりに傲慢でヒロイズムに酔った内容なので、なかなか。。
「When I came」が「When we came」になってるのとか(この詩が宛てられた「S.A.」というのは、サリーム・アーメドというあるアラブの少年であるというのがいまの通説です。今のな。)、さらに言うと大きく変えられている第三節には、時間の経過を感じるなあ。
「When I came」
より広く出版されることを意図していたと思われる普及版では、「行く」のは彼ひとりではないのに、先に書かれたほうでは、彼がひとり行くと、「きみ」がそこにいるという描写。彼の期待ではそのときに「きみ」の目が彼にきらきら輝いている、と。彼が「きみ」に自由、「七柱のふさわしい館」を与えることができたら、きっとそうなる、と。
「gain」と「earn」の語感の違いもあるが。ダフーム(サリーム・アーメド)は現実には彼がそこに「行く」まえに死んでしまっていたので、当然「When I came」の方が自然だが、
自分のアラブでの行動のすべての理由を一人の少年への愛に帰することのパセシックさに本人誰よりも意識的だっただろうから(酔ってたと言える気がする)そこは「S.A.」を、のち彼に好意的な人々が取ったように「シリア-アラビア」と解釈できなくもないように、したような。
「Death seemed my servant on the road」
完全版では言いきりで「死はこの旅のあいだ僕の従者であった」と。普及版では「seemed」をつけて弱めてますね。
。普及版では「till we were near and saw you waiting」「僕らが近づき、きみが待っているのを見るまで」が、完全版ではここでも「came」が使われてる。「僕らが近くに行き、きみが待っているのを見るまで」。「きみがほほ笑んだとき、死は哀しい嫉妬に駆られ、僕を追い抜ききみを連れ去った その静寂のなかへ」
「Love, the way-weary, grouped to your body...」
「Love」に関する部分は前者が「道程に疲弊した愛は、一瞬僕らのものとなった、僕らのわずかな報いであったきみの体をまさぐる」
後者は「僕らの愛が得たものは、ただ一瞬抱きしめたきみの投げ出された体」
つづく節での普及版の「そして大地のやわらかな手がきみの身体をさぐり、きみの亡骸のうえに盲いた蛆虫どもが肥え太る」という怒りあふれた表現にくらべると
「大地のやわらかな手がきみの顔をさぐり、盲いた蛆虫どもがきみの倒れた亡骸を崩してしまう前に」という完全版のほうは随分センチメンタルに聞こえる。おセンチ。。。
最後の部分はほとんど同じ。「人々は僕の作品の完成を祈った きみの思い出にささげた侵されざる館を」
「だが僕はその記念碑を、ふさわしく未完のまま砕いてしまおう。」「そしていま、ちいさなものどもが這い出しては、自らみすぼらしい小屋を建てようとしている きみのもたらしたものの砕けた影の中で」政治的な部分と言えるのかな。gift、ロレンスは「僕は一人のアラブ人を愛していて、自由はそのひとに良い贈り物になるのではないかと思って」行動したと言っている、という。an acceptable giftが民族の自由というのは割合にばかげた話だが、ダフームはアラブ独立のためにトルコ側に潜入してスパイ活動のようなことをしていた、要するに独立の闘士だったといえなくもないので、これは筋が通ってる気もする。
記念碑は「きみ」が死んだから未完のまま壊してしまおう、というのはセカイ系すぎ。
てなわけで。
「僕はきみを愛した だから僕は渦巻く潮である人々を自らの手に率い、空いっぱいに星で遺書を書き記す
きみが自由を、七柱のふさわしい館を手に入れられるように そうすれば僕がそこに着いたとき
きみの瞳は僕に輝いてくれるだろう
死はこの旅のあいだ僕の従者だった 僕らが近くまで行き、きみが待っているのを見るまでは
きみがほほ笑んだとき、死は哀しい嫉妬に駆られ、僕を追い抜き
きみをその静寂のなかへ連れ去った
僕らの愛が得たものは、
大地のやわらかな手がきみの顔をさぐり、盲いた蛆虫どもがきみの倒れた亡骸を崩してしまう
その前にただ一瞬抱きしめた、きみの投げ出された体
人々は僕の作品の完成を祈った きみの思い出にささげた侵されざる館を
だが僕はその記念碑を、ふさわしく未完のまま砕いてしまおう
そしていま、ちいさなものどもが這い出しては、自らみすぼらしい小屋を建てようとしている
きみのもたらしたものの砕けた影の中で」
完全版の訳は第三節の「our love」を明確に「われらの恋」と訳しているのがいただけない。日本語の「恋」はかなり限定された意味しかないから…